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横浜地方裁判所 昭和37年(ヨ)273号 決定 1962年10月15日

申請人 石川光男 外六〇名

被申請人 第一タクシー株式会社

主文

申請人らの申請を却下する。

申請費用は、申請人らの負担とする。

事実

(当事者の申立)

申請人ら代理人は、「被申請人は、申請人らに対し各金一万三千五百円及び昭和三十七年二月一日以降毎月金三万円を当該月の二十五日に金五千円、翌月五日に金二万五千円ずつ分割して支払え。」との裁判を求め、予備的に「被申請人は、申請人らに対し金六、九五一、九〇四円の返還と引換えに右同額の金員を右同様の方法により支払え。」との裁判を求めた。

被申請人代理人は、「申請人らの申請を却下する。」との裁判を求めた。

(当事者の主張)

申請人ら代理人は、申請の理由として「(一)被申請人会社(以下単に会社と略称する。)は、肩書地に本店を置き、乗用車三十台及び従業員七十名をもつてタクシー営業を営む資本金九百万円の株式会社であり、申請人らは同社に雇われ、同社のタクシー運転業務に従事する運転手である。(二)而して、申請人らは右会社の従業員であると同時に神奈川県下の自動車交通労働者を構成員とする神奈川地方自動車交通労働組合(以下単に神自交労組と略称する。)の一単位である同組合第一タクシー支部の組合員であるが、右第一タクシー支部(以下、単に組合と略称する。)は、昭和三十六年十一月十日会社に対し年末一時金一人一律金五万円の要求をしたところ、会社はこれに対し何ら誠意ある回答を示さず、同年十二月二十五日に至つてようやく一人平均四万五千円とし、そのうち五〇パーセントを一律支給とし残り五〇パーセントについては成績、年功等を考慮して配分する旨の回答をしたのである。しかし、右回答は昭和三十六年五月一日組合と会社との間に締結された乗務員賃金規定による完全月給制を否定するものであつたため、組合はこれを不満とし、引き続き団体交渉の申入れを重ねてきたが、会社側は常勤重役相互の内紛のため会社としての統一した意思表示ができず、各重役が各自勝手な回答をする始末で、誠意ある団体交渉は開かれず、すでに県下の神自交労組約四十数支部において年末一時金問題は解決しているにもかかわらず、被申請人会社においては現在に至るも支給がされていない状態にある。しかし、申請人らは、かかる不満な状態にもかかわらず、団体交渉により事態を円満に解決しようと考え、スト行為等に出ず、昭和三十七年二月五日に至るまで平常どおりの稼働を続けてきた。(三)ところが、一月分給料支給日である昭和三十七年二月五日申請人らが平常どおり出勤すると、会社構内に「金融の都合上一月分給与は従業員一人につき一律一万一千五百円を支払う。残額は乗務員個人の一日の売上からその三〇パーセントまでを給料に充当するまで支払う。」旨のビラが掲示してあつたので、申請人らもこれに驚き、会社事務員に事の次第を訊ねたが、事務員達は「川上重役に云われてやつただけで自分達は知らない。」旨を繰り返すだけで一向に要領を得ないし、その日は重役らの出勤してくる気配は全然なかつたので、申請人らも止むなくその日は平常どおりの勤務についた。(四)然るところ、翌二月六日常勤重役の一人である井田重役が出勤したので、申請人らが右事態についての処置、指示を仰いだところ、同重役は、「川上重役のやつたことだから、私は知らない。するようにするより仕方がない。」との回答一点張りであつたが、結局、取り敢えず、平常どおり稼働を継続すること及び運行についての直接経費を営業収入から支払うことを認めて帰宅した。そこで申請人らは同日以降同年四月二十六日早朝まで平常どおり就業規則所定の勤務に服し、運行を継続し、毎日の営業収入は一切手をつけず、組合支部長の名義で一括して神奈川県労働金庫に預託し、井田重役との話合にあつたとおりガソリン代、修繕費等車輛の運行に直接必要な最少限の経費のみをそこから支払つてきたのである。而して、この間会社重役は全員会社に出勤せず、組合の再三に亘る団体交渉の申入れに対しても何らの回答もせず、申請人らの毎日の稼働に対しても何の指示、指図もしない有様であつた。(五)以上のようなわけであるから、会社役員は二月五日以降運行管理の責任をみずから放棄したものというべきであり、申請人らの右稼働はかかる事態において社会通念上被雇用者に要求さるべき雇傭契約上の債務の履行即ち債務の本旨に従つた労務義務の履行になるというべきである。なるほど、被申請人会社の正常な業務体制が被申請人主張のとおりであること及び昭和三十七年二月六日以降申請人らが営業収入を会社に納入せず、申請人らの稼働日数、営業収入等の管理、計算はすべて組合において行つていたものであることは認めるが(但し、ガソリン代の支払方法は不知)、他は就業規則所定のとおり正常に運行稼働に従事したのであり、右管理計算の明細についても会社側に解決に当る誠意があるならば申請人らとしてもいつでもこれを明らかにする用意がある。また、営業収入納入義務の点についても、本件では、前記のとおり昭和三十七年二月五日会社側から賃金の支払方法と関連して不納入を認めるが如き告示がなされたのであるし、かつこれに疑義を持つた申請人らが会社に対し、その方法を質しても会社はこれに対し明確な回答をせず、放置していたのであるから、申請人らが営業収入を会社に納入しなかつたことをもつて、直ちに申請人らに債務の本旨に従つた労務の履行がない、とは言えないのである。したがつて、申請人らは昭和三十七年四月二十五日まで債務の本旨に従つた労務の提供をなし、かつ労務に服したことにより賃金請求権を有するものというべきである。仮りに申請人らの、二月六日以降の右稼働が債務の本旨に従つた労務の履行にならないとしても、それは申請人らが債務の本旨に従つた労務の提供をしたにもかかわらず、会社側がこれを自己の指揮系統下におこうとしなかつたことに起因するのであるから、これは債権者たる会社の受領遅滞に外ならない。したがつて、会社は申請人らの右稼働が債務の本旨に従つたものでないことを理由として賃金支払を免れることは許されないのである。また、仮りに二月六日以降四月二十五日までの右稼働が債務の本旨に従つた労務の履行と認められず、かつこれにつき会社が受領遅滞の責を負わないとしても、申請人らは昭和三十七年二月六日以降会社経営が役員相互の内紛のため営業執務を放棄したのに対処し、会社のため通常会社がなすべき車輛の運行稼働、維持管理を代行してきたものであるから、まさに会社のためその業務を事務管理していたものに外ならない。したがつて右期間中の稼働につき賃金相当額を有益費用として償還請求をする権利があるのである。(なお、会社が申請人らの稼働を労務の履行ないしは事務管理と認めないならば、会社は当然には右稼働による営業収入を会社のものとして主張しえない筈である。)更に申請人らの右稼働が債務の本旨に従つた労務の履行と認められず、かつ事務管理にも当らないとしても、会社は申請人らの労務により営業収入をあげ得たのであるから、営業収入をあげるにつき通常支出を要する賃金相当額の金員は不当利得として申請人らに返還するべき義務がある。而して、申請人らは右稼働により九、五六四、〇四〇円の営業収入(営業外収入二九、〇〇〇円)を挙げ、これより直接経費を差し引いた利益金六、九五一、九〇四円を現在保管中であるが、右金員の返還は申請人らに対する賃金相当額の有益費用償還義務乃至利得返還義務と同時履行の関係に立つ。(七)ところで、昭和三十七年四月二十六日早朝申請外新井幸治代理人は執行吏と共に会社に対する仮差押のためと称して来社し、申請人らの異議を無視して帰庫していた車輛に対し監守保存の処分を強行したが、申請人らの調査によると、右申請外新井幸治は東京の城西タクシーの専務であり、最近被申請人会社の重役となつた岩浦重役と親交のあることが判明し、右仮差押は申請外新井幸治と会社の通謀による仮装のものであることが判然とした。而して、このため申請人らは車輛の運行による稼働が不能となつたが、かかる偽装の仮差押により申請人らの稼働を不能ならしめたのは債権者たる会社の責に帰すべき受領遅滞に外ならず、(仮りに会社が真実債務を負つていたため右仮差押がなされたとしてもこれまた会社の責に帰すべき事由に外ならない。)申請人らは、その後も今日に至るまで毎日出勤して労務の提供をしているのであるから反対給付たる賃金請求権を失わないというべきである。(八)なお、同年四月二十八日会社が組合に対し事業所閉鎖の通知をしたことは認めるが、これによつて申請人らに対する賃金支払義務を免れ得るものではない。けだし、事業所閉鎖の本質は労働者の就業の拒否あるいは生産手段からの労働力の遮断にありとされているが、本件においては使用者たる会社がすでに仮差押に基づく監守保存の処分を受け、労務を受領することが客観的に不可能となつているのであるから、労務の受領可能を前提としてその拒否を行う事業所閉鎖は成立し得る余地がないからである。また、事業所閉鎖は事実上の閉め出し行為を要し、単なる一片の文書による宣言のみで足るものではなく、而も労働者の稼働中あるいは使用者の受領遅滞中に行う事業所閉鎖は攻撃的であつて無効である。したがつて、会社は、昭和三十七年四月二十八日申請人らに対し事業所閉鎖の通知をしたことを主張するが、これによつて同日以後の賃金支払義務を免れ得るものではない。(九)ところで、申請人らは昭和三十七年一月当時所謂完全月給制度をとり、毎月基本給三万六百円及び交通費六百円合計三万一千二百円の給与を受け、これを毎月二十五日に金五千円、翌月五日にその残額を支給されていたのであるが、一月分については一月二十五日に金五千円、二月五日に金一万一千五百円の支給を受けただけでその残額は支給されず、また二月分以降については、就労しあるいは労務の提供をしているのにかかわらず、一銭の支給も受けていない有様で、申請人らはこれを請求する権利がある。(十)而して、申請人らはいずれも賃金を唯一の収入源とする賃金労働者であり、現在他に収入の途のないままに将来の解決をたよりに労働金庫から資金を借り入れ、生計を立てている状態で、重大な経済的危機に瀕している。よつて申請人らは現在賃金支払の本訴を提起すべく準備中であるが、本案判決を待つていては測り知れない損害を蒙るおそれがあるので、右一月分賃金未払分のうちから金一万三千五百円、二月分以降については毎月金三万円を当該月の二十五日に金五千円、翌月五日に金二万五千円づつそれぞれ支払うことを求める。」と述べた。

被申請人代理人は、答弁として「申請人らの主張事実中(一)の被申請人及び申請人ら間の雇傭関係の点は認める。但し、申請人らのうち、福島初枝は雑役婦であつて運転手ではなく、越川芳邦は昭和三十七年五月十二日に、佐藤明男は同年同月三十一日にそれぞれ退職しているものである。また、三上昭七は昭和三十六年四月二十二日から、橋本光保は同年五月十五日から結核によりそれぞれ欠勤し、右欠勤の日より六カ月を経過した日の翌日から休職に付し、以来賃金の支払をしていないのである。更に申請人中海津健及び前記越川、佐藤の三名はいずれも試傭期間中のものであり、給与は後記の日給制によるのである。(二)の事実については申請人らが昭和三十七年二月五日の昼勤者まで正常に稼働していたことはこれを認めるので、二月一日から五日までの賃金は組合において管理している車体検査証(以下、単に車検と略称する。)、キー及び営業収入を会社に返還した場合には直ちに支払うことを約束する。(四)、(五)の事実については申請人らの稼働が債務の本旨に従つた労務の履行であること及び被申請人に受領遅滞があることを否認する。被申請人会社の正常な業務体制における従業員の勤務は、昭和三十六年八月十七日より一日実働八時間、一週四十八時間、昼夜二交替制で、昼勤者は午前八時より午後五時までの間勤務につくのであるが、午前八時に会社において運行管理者もしくはその代行者から道路運送法に基づく自動車運送事業等運輸規則第二十二条による点呼を受けた上、右点呼執行者から運転日報、車検、及びキーを渡されて稼働につき、所定の勤務時間を終えた上は、帰社して当該勤務の営業収入を運転日報と共に会社に納入するのである。同様に夜勤者も午後五時の勤務開始に当り、点呼執行者より点呼を受けた上運転日報の交付を受け、車検、キーは車輛申送り事務の一環として昼勤者より引き継ぎ稼働に出て、午前一時半に帰社したならば、営業収入を運転日報に添えて宿直員に納金した上、車検及びキーを返戻するのである。而して、昭和三十七年二月五日当時、運行管理者の井田常務は病気欠勤中であつたので、役員では川上常務のみが出勤し、事務員は三名でうち遠藤義彦は運行管理代行者として営業事務(含点呼業務)に、田代稲三は会計事務にまた吉岡澄江が庶務にそれぞれ従事しており、他に整備担当職員として酒巻亮三、田中源弥及び平井正美の三名がおり、特に田中源弥は常時会社に宿直し、夜勤者からの営業収入、運転日報、車検及びキーの受領に当り、これを翌朝遠藤義彦に引き継いでいたのである。また燃料は勤務に就いた乗務員が横浜市中区長者町三丁目の横浜石油株式会社のスタンドで給油を受けることになつており、給油を受けた場合には運転日報にもその旨を記載しておき、支払は右横浜石油から毎日一日単位で会社に報告書を提出した上、毎月末締で横浜旅客自動車協同組合を通じて支払つていたのである。然るに、申請人らは昭和三十七年二月五日の夜勤者から無警告で争議行為に入り、営業収入の納入及び運転日報等の返還に応じなくなり、更に翌二月六日の昼勤者からは前記遠藤義彦の点呼すら拒否し出し、申請人らの勝手に運転稼働を継続しているのである。なお、この間会社重役が会社に一度も姿を見せなかつたことは否認する。川上重役は二月六日以降も在社時間こそ少なかつたが連日出勤しており、他の事務職員も平常どおり会社に出勤し、申請人らに対し再三正常な勤務に戻るよう説得していたのである。要するに、申請人らは二月六日以降会社の経営指揮権を排除して組合指揮下に業務管理に突入したのであるから、右稼働は到底債務の本旨に従つた労務の履行とは認めがたい。会社としても同日以降申請人らに対し経営者としての何らの権利も行使し得ないのであるから、義務のみ負担すべき理由はない。現に会社としては誰が何号車に乗務したのか、また営業収入は何号車に何程あつたのか等乗務員の勤務成績を知り得ないのであるから賃金計算のしようがなく、また申請人らが営業収入を納入しないので賃金支払の財源もない。したがつて、申請人らが賃金支払を請求するならば、まずこれまでの営業収入を会社に納入すべきである。仮りに、申請人らの右稼働が債務の本旨に従つたものであるとしても、賃金支払義務は営業収入納入義務と同時履行の関係に立つから、営業収入の納入のあるまでは、その支払を拒絶する。(六)の事実については、事務管理の点は否認する。仮りに事務管理が開始されたとするも、昭和三十七年二月六日会社の井田重役は組合役員に対し営業収入の納金方並びに正常な業務への復帰を強く申入れているのであるから右事務管理は同日をもつて終了したのである。また申請人らは、申請人らの右稼働が事務管理にならないとするならば、会社による右営業収入の取得が不当利得になる旨主張するが、会社と申請人らとの間に雇傭契約が存続する以上会社が業務管理による右営業利益を収得しても、必ずしも法律上の原因を欠くものではない。仮りに申請人らに有益費用乃至利得償還請求権があるとするも、昭和三十六年度における被申請人会社の営業収入に対する給与の割合は三六・六パーセントであるから本件営業収入九、五六四、〇四〇円に対する賃金相当額はその三六・六パーセントの三、四七一、七四七円しかなく、これを三上昭七、橋本光保、福島初枝を除く申請人らで割れば一人当り五九、八五八円の割合である。而して被申請人は右償還請求権を上廻る運行稼上金返還請求権を申請人らに対して有するのでこれと右有益費用償還請求権を対等額にて相殺する。ところで、昭和三十七年四月二十六日早朝申請外新井幸治代理人が執行吏と共に会社に対する仮差押のため来社し、帰庫していた会社所有の車輛に対し、監守保存命令の執行をしたことは認めるが、これが会社と申請外新井幸治との通謀による仮装のものであることは否認する。会社と右新井幸治との債権債務は真正のものである。なお、同年四月二十六日以降被申請人において労務の受領遅滞ありというためにはまず申請人らにおいて債務の本旨に従つた労務の提供がなければならないが、申請人らは同日以降も斗争態勢を解除せず、車検、キーは依然として組合において保管を続け、それまでの営業収入も会社の要求にかかわらず返還しないのであるから、到底債務の本旨に従つた労務の提供があつたとは言えないのである。而も、被申請人は同年四月二十八日午後三時申請人らに対し事業所閉鎖を通告したのであるから、その後は如何なる理由があろうとも申請人らに対し賃金支払義務を有しない。なお右事業所閉鎖は申請人らの違法な争議行為によつて会社の存立が危殆に瀕したので自衛上やむなくとられたものであり、申請外新井幸治の仮差押執行とは何らの関係もなく、決して攻撃的なものではない。また、事業所閉鎖は意思表示のみによつて有効に成立するものと解すべきであるが、仮りに然らずとするも、本件の如く会社自動車の監守保存の執行後も労働者側において争議態勢を持続する限り、これに対抗してなされた事業所閉鎖は有効なものと言うべきである。次に(九)の事実については、申請人らのうち本雇乗務員が所定の勤務(四週に四日を越えない休暇をとり前記昼夜交替勤務に服すること。)に服した場合に、月給として金三万六百円及び交通費として金六百円合計三万一千二百円を支給していたことは認めるが、前記試傭期間中のものについては月給制ではなく日給として一日千二十円を支給していたのである。なお、最後に賃金支払の仮処分の必要性についても否認する。申請人らは昭和三十七年二月五日の夜勤者以降営業収入を会社に納入せず、神奈川県労働金庫に預託してこれを担保に同金庫から賃金相当額の借入を行つているのであるから仮処分の必要性ありとは認めがたく、交通費についても当然仮処分の必要性はない。よつて、申請人らの本件申請はまつたく理由がなくこれを却下すべきである。」と述べた。

(疎明省略)

理由

福島初枝を除く申請人らが昭和三十七年二月当時いずれも被申請人会社の従業員であり、同社のタクシー運転業務に従事していたこと(但し、申請人らのうち三上昭七、橋本光保の休職の点及び佐藤明男、越川芳邦のその後の退職の点は暫く措く。)及び右申請人らが昭和三十七年二月五日の昼勤者まで正常な業務についていたことは当事者間に争いがない。

そこで右二月五日の夜勤者以後の申請人らの稼働状態及びそれ以前の本件紛争の経過につき検討するのに、当事者間に争いがない事実と本件疏明資料によると、

(一)  申請人らは、被申請人会社の従業員であるとともに神奈川県下の自動車交通労働者を構成員として組織せられた神奈川地方自動車交通労働組合(通称神自交労組全国組織としては全国自動車交通労働組合連合会―通称全自交労連―に加入。)第一タクシー支部所属組合員であるところ、右支部(前記のとおり以下は組合と略称。)は、昭和三十六年十一月十一日以来その上部組織である全自交労連、神自交労組の統一要求に基づき会社に対し年末一時金一人当り一律五万円、同年十二月十日支給の要求を掲げ、会社側と接衝を重ねてきたが、一人平均四万五千円とし、うち五〇パーセントを一律支給、残り五〇パーセントは成績、年功等を考慮して配分する旨の格差的配分方法を強く主張する会社側と話合がつかず、数度の団体交渉も物別れとなり、会社側は次第に団体交渉にも応じなくなつたこと、

(二)  しかし、昭和三十七年二月五日に至るまでは労使間の話合はつかないものの、労使とも正常な業務体制を保つてきたが、一月分給料の支払日である右二月五日の朝、昼勤者が出勤して二階事務所に点呼を受けに行くと、事務所の壁には甲第六号証の「告!」と題する会社側掲示が貼られており、それによると、会社側は金融難を理由として、一月分給料については従前の支給方法を一変し、乗務員については支給額を一人当り一律一万一千五百円とし、残額は乗務員個人の売上によつて日払いとし一日の売上の三〇パーセントまでを給料に充当するまで支給する旨が一方的に宣言されていたこと、

(三)  そこで、申請人らもこれに驚き、その真意を会社の営業担当事務員である遠藤義彦に訊ねたが、同人では一向に要領を得ないし、またその日は会社重役も出勤してくる気配がなかつたので組合としても対策を立てかね、その日は止むなく昼、夜勤者とも会社事務員の点呼を受け平常どおりの勤務につき、かつ給料もひとまず会社の言うとおり一人一律一万一千五百円を受け取つたが、残額の支給方法についてはまつたく承服しかねたので、営業収入から残額全部を受領するつもりで(実際には営業収入には手をつけられなかつた。)二月五日の夜勤者から営業収入を会社に納入せず、かつ車検、キー及び運転日報も会社宿直員の田中源弥に返戻せず、組合の手で保管されることになつたこと、

(四)  翌六日その旨を知つた会社側もこれには驚き、当時病気欠勤中であつた井田営業担当重役が急拠出勤し、営業収入、車検等を返還するようにと組合側の説得に当つたが、同重役は永らく病気欠勤中であつたため事態について十分な説明をすることができず、給料支給方法の一方的な変更についても組合側の了解をとりつけることができないままに、かえつて賃金を支払わないならば、営業収入を会社に納入せず自主的運行を行うことを決めていた組合役員らに対して、車を動かすに必要なガソリン代や修理代等の経費を組合が直接営業収入から支出しても良いかの如き言辞を残して帰宅したこと、

(五)  すでに、申請人らは会社の経営怠慢及び申請人らの生活権の問題を理由として、右のように組合管理の下に自主的稼働を行うことに決心し、二月五日の夜勤者から引き継いだ車輌、車検及びキー等を用いて翌二月六日からその実行に移つたが、それまでの会社の正常な業務体制では実働一日八時間、昼夜二交替制、昼勤者は午前八時から午後五時まで、夜勤者は午後五時から翌日午前一時半までの勤務であつたのでこれを踏襲したが、同日以降それまで会社の運行管理者あるいはその代行者の行つていた点呼事務、会社事務員の扱つていた営業収入収納事務、車検、キー、運転日報等の授受取扱事務は一切会社の関与を排除して組合において行うようになり、会社にはその詳細も報告せず、申請人ら運転手は稼働に出るに当つても会社事務員の点呼を受けることなく(本来は運行管理者たる井田重役の職務であるが同重役の病気のためその代行者である遠藤事務員が行つていた。)、組合役員による点呼を受け、稼働から戻つてからも営業収入を会社に納入せずすべて組合に納め、組合はこのうちからガソリン代、タイヤ代、部品代あるいは修理代等の直接経費を差し引いた残りを組合支部長名義で神奈川県労働金庫に預けていたものであり、車検、キー、運転日報に関しても申請人らに関する限り全て組合側で保管して稼働に出る申請人らにそれぞれ交付していたものであること、

(六)  而して、昭和三十七年四月二十六日早朝、その前日の夜勤者が帰社して仮眠所で仮眠に就いていたところ、申請外新井幸治代理人が執行吏と共に会社に対する仮差押命令に基づく会社自動車監守保存命令の執行のため来社し、会社所有の車輌二七台に対し監守保存の執行をしたため、同日以降申請人らは右車輌による運行稼働ができなくなつたこと、

を認めることができ、乙第八号証、第九号証中右認定に反する部分は俄かに措信しがたく、他に右認定を左右するに足る疏明はない。而して、これらの事実によると申請人らは昭和三十七年二月六日以降同年四月二十六日朝まで神自交労組第一タクシー支部組合員として同支部組合指揮の下に会社の経営指揮権を排除してその意思に反し業務管理を行つてきたものと認めるべく、したがつてその間の申請人らの稼働が会社就業規則に合致する部分があるにもせよ、従属労働の本質を具えない点において、債務の本旨に従つた平常どおりの労務の履行であるとは到底認めがたく、また、これをもつて、いわゆる不完全履行の範囲内にとどまるものとみるべきでもない。申請人らが右業務管理に突入するに当つては年末一時金問題に関する会社の熱意なき団交態度が遠因となり、また一月分給料未払が直接の原因となつていることが認められるが、既履行分の労務に対し賃金が支払われないからと言つて直ちに債権者の責に帰すべき労務の履行不能が発生したとも言えないし、債務の本旨に従つた労務の履行が可能であるにもかかわらず、申請人らがこれをせずに昭和三十七年二月六日以降業務管理に突入した以上、会社に対する賃金請求権を有しないことも止むを得ないところである。(これは使用者の責に帰すべき事由から労働者がストライキに突入した場合でも、ストライキの続く限り労働者に賃金請求権がないのと同じである。)なお、申請人らは、申請人らの右稼働が仮りに債務の本旨に従つた労務の履行と言えないとしても、会社側は申請人らの債務の本旨に従つた労務の提供を受領しなかつたのであるから、これによつて申請人はすでに賃金請求権を取得したのであり、その後の稼働はむしろ会社のためにしたものであるから、これが債務の本旨に従つた労務の履行と言えないとしても、申請人らは賃金請求権を失うものではない旨主張するが、二月五日の夜勤者からすでに営業収入や運転日報等を返還せず、会社の指揮監督を排除する争議行為に移つていることや前認定の稼働の実体よりすれば、二月六日以降点呼就労方を申し出でたとしても、他に情況の変化がない限り、債務の本旨に従つた労務の提供をしたとは言えず、会社がかかる就労申出を拒否しても受領遅滞になるものではない。

よつて、昭和三十七年二月六日以降同年四月二十五日まで債務の本旨に従つた労務の履行ないしはその提供をしたことを理由とする申請人らの賃金支払の請求はその理由がないというべきである。

そこで、次に申請人らの右稼働が事務管理として賃金相当額の費用償還請求権を発生せしめるかどうかにつき検討するのに、事務管理者が民法第七百二条にいわゆる費用償還請求権を取得するには事務管理者においてたんに管理行為をするだけにとどまらず、他に積極的な出捐をなすことを要するものと解すべく、右出捐のない事務管理者が自己の管理行為に対し賃金相当額の金員の請求をすることはその実、自己の管理行為に対する相当額の報酬を請求することに外ならない。申請人らが積極的な出捐をなしたことは本件全疏明によるもこれを認めがたい。而して、わが民法上事務管理について報酬請求権の認められていないことは明らかであるから、申請人らの右請求はまつたくその理由がないというべきである。

また、申請人らは、申請人らの右稼働が債務の本旨に従つた労務の履行と認められず、また事務管理にもならないとすれば、会社は営業収入の取得により法律上の原因なくして申請人らの労務に因り利益を受けたことになるから申請人らに対し賃金相当額の不当利得を返還すべきである旨主張する。なるほど、申請人等の稼働により会社は賃金を支払う義務を負担することなくして、営業収入を得ているには違いないが、申請人各自の権利を認めるためには、各人毎の稼働により、それぞれ会社がどれだけの営業収入を得、直接間接の経費を差引き、どれだけの利得を得たのかを算出できなければならないのにかかわらず、これを可能にする疏明はない。申請人らのいうように、営業収入中の賃金相当額をもつて、各人の与えた不当利得額とすることができないことは明らかである。したがつて、申請人らの不当利得返還請求権はこれを認めがたいし、仮りにその権利があるとしてみても、権利の性質上、仮払の仮処分を命ずる必要があるものとは考えられない。(なお、申請人らの稼働による本件営業収入は、会社所有の車輌により会社名義の営業で取得せられたものであるから右稼働につき申請人らの事務管理あるいは不当利得返還請求権の成立するか否かに拘わりなく、会社に帰属するものと認められる。)

而して、昭和三十七年四月二十六日朝申請外新井幸治代理人が執行吏と共に来社し会社所有の車輌に対し仮差押に基づく監守保存の処分をしたため、以後申請人らにおいて業務管理を継続し得なくなつたことは当事者間に争いない事実であり、また申請人ら提出の疏明資料によると、右監守保存命令の執行は申請人らの業務管理を妨害するために会社と申請外新井幸治とが通謀して行つた馴合執行と認められないではないが、前記認定どおり申請人らは業務管理のためもともと賃金請求権を有していなかつたのであるから、これが会社の偽計により妨害されたとしても、特に賃金請求権を発生せしめるいわれはない。もつとも右執行後申請人らにおいて業務管理の不能に基づき斗争態勢を解除して改めて債務の本旨に従つた労務の提供をしたのであれば格別であるが、被申請人提出の疏明資料によると申請人らは右執行後も斗争態勢を解除せず依然として従前の営業収入を保管し、車検、キーをも会社に返還せず、右監守保存命令の執行に対しても当裁判所に対し組合の占有を理由として組合名義で執行方法に関する異議を提起し、組合の右車輌に対する占有を回復しようと努めていたことが認められるので、右監守保存の執行後申請人らが飜意して新たに債務の本旨に従つた労務の提供をなしたとは到底認めがたいところである。

したがつて申請人らは昭和三十七年四月二十六日以降何らの稼働をせず、また新たに債務の本旨に従つた、労務の提供もしなかつたのであるから同日以後において賃金請求権を有する理由がなく(事務管理、不当利得の成立し得る余地のないことは言うまでもない。)、その後に行われた会社の事業所閉鎖の有効、無効を論ずるまでもなく、その請求は失当である。

ところで、被申請人会社が昭和三十七年二月五日までの申請人らの稼働につき賃金支払義務を負うことは被申請人もこれを認めているので、この限りにおいて申請人らの被保全権利の存在は肯認せられるが、右部分は申請人らの本件請求金額のうちのごく一部であり、権利発生後四カ月余を経過した同年六月十二日にいたつて、本件申請がなされたことを考えると、現在その支払を命ずるだけの必要性はないと認められる。

よつて、申請人らの本件申請はいずれも理由がなく、失当としてこれを却下すべきであり、申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 森文治 松沢二郎 早川義郎)

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